みなさんがよくご存じの【DMC】といえば、
刺繍糸のブランド。

DMCのルーツをたどるうえで欠かせないのが、
フランス・ミュルーズの染織文化です。

現在もミュルーズには「ミュルーズ染織美術館」があり、18世紀から続くプリント生地や図案、見本帳など、
当時の華やかなテキスタイル文化を伝える貴重な資料が数多く残されています。

今回は、フランス出張の際に実際に訪れた「ミュルーズ染織美術館」で出会った展示をもとに、
DMCにつながるミュルーズの染織文化と、
その背景にあるストーリーをご紹介します。

テキスタイルデザインの歴史を伝える「ミュルーズ染織美術館」

DMCのはじまりは、刺しゅう糸ではなかった!?

刺しゅう糸と聞いて、真っ先に思い浮かぶブランドのひとつが「DMC」。

手芸を楽しむ方なら、一度はDMCの刺しゅう糸を手に取ったことがあるのではないでしょうか。

色数が豊富で、発色が美しく、世界中の刺しゅうファンに長く愛されている定番ブランドです。

DMCのはじまりは約280年前。
歴史をたどっていくと、そこには単なる“糸のメーカー”という言葉では収まりきらない、
驚くほど壮大な物語があります。

しかも、DMCは最初から刺しゅう糸を作っていたわけではありません。

その原点は、ヨーロッパ中を夢中にさせた
「インド更紗」と、
フランス東部の街・ミュルーズに根づいたプリント生地の産業にありました。

DMCのはじまりは、1746年のミュルーズ

1746年にフランス東部の街・ミュルーズで創業したDMCは、現在も世界最高級の刺しゅう糸を、歴史ある同じ地の工場で生産しています。

そのルーツは、ミュルーズで設立されたインド更紗の工場にあります。

フランス東部アルザス地方に位置するミュルーズ
現在もミュルーズにあるDMC工場の外観

インド更紗とは、もともとインドの職人によって作られていた、
綿に色鮮やかな模様をプリントした布のことです。

軽くて扱いやすく、華やかな柄を楽しめるこの布は、当時のヨーロッパで大きな人気を集めました。

当時は、絹や麻の生地が主流でした。
それまで美しい布は、一部の裕福な人々だけが楽しむものというイメージがありました。

しかし、インド更紗の登場によって、色柄のある布はより多くの人々の暮らしに広がっていきます。

華やかなプリント生地を身近に楽しめるようになったことは、当時のファッションに大きな変化をもたらしたのです。

インド更紗の色や柄はとても新鮮で、異国情緒あふれる憧れの布だった。
DMCのものづくりの原点にもつながるインド更紗。


一方で、あまりの人気にフランス国内の絹や麻などの繊維産業が脅かされるようになります。

この影響で、当時の政府は自国の産業を守るため、
インド更紗の輸入や着用が禁止される時期がありました。

この制約をうまくかわし、プリント布産業を発展させたのが、ミュルーズという小さな街でした。

小さな街が、なぜテキスタイルの一大産地になったのか

ミュルーズはライン川流域で、物流に恵まれ繊維産業が発展した街。

18世紀半ばのミュルーズは、人口わずか約4,000人の城壁に囲まれた小都市でした。

しかし、規模の小ささに反して、ミュルーズはライン川流域に位置しており、
物流や水運の便にも恵まれていました。

繊維の染色や漂白、乾燥には水が不可欠ですが、街の地理条件や水資源を活かすことで、布の大量生産や加工が可能となっていました。

こうした地理的・政治的・経済的条件が重なったことで、
規模は小さいながらも効率的に布の輸入・製造・販売を行える街となり、
プリント布産業を発展させるための理想的な拠点となったのです。

また、当時のミュルーズは、現在のようなフランスの一都市ではなく、
「ミュルーズ共和国」として独立した小さな都市国家のような存在でした。

そのため、フランスの輸入禁止令の影響を直接受けにくく、インドから更紗を輸入し、さらにフランス市場へ売り込むことができたのです。

この“抜け道”のような立場が、ミュルーズをプリント生地産業の重要な拠点へと押し上げていきます。

そして、DMCへとつながっていく

このチャンスに目をつけたのが、現在のDMCの原点となるミュルーズの若き起業家たちでした。

1746年に、
ジャン=アンリ・ドルフュス、
ジャン=ジャック・シュマルツァー、
サミュエル・ケクランらは、

ミュルーズでインド更紗を製造する共同事業を始めます。

彼らはいずれも、ミュルーズの有力な家系に生まれた若者たちでした。

左から、デザインを担ったジャン=アンリ、資金面を支えたシュマルツァー、事業運営を担ったケクラン。

ジャン=アンリ・ドルフュスは、
画家としての感性を持ち、図案やデザインの面で重要な役割を担った人物とされています。

シュマルツァーは、
スイス出身の出資者として事業を支えました。

ケクランは、
商人としての知識を活かし、事業の運営を担いました。

デザインを描く人。
資金を出す人。
ビジネスを動かす人。

それぞれの力が組み合わさったことで、ミュルーズの新しい産業は動き出しました。

今でいうなら、スタートアップのようなチームだったともいえるかもしれません。

このインド更紗の製造の事業が、のちのDMCへとつながっていきます。

1800年には、ジャン=アンリの甥であるダニエル・ドルフュスが会社を引き継ぎます。

ダニエルは、現在のDMCにつながる
Dollfus-Mieg & Compagnie を築いていきました。

DMCという名前は、この
Dollfus-Mieg & Compagnie に由来します。

つまりDMCの原点には、最初から刺しゅう糸があったわけではありません。
その始まりは、ヨーロッパを夢中にさせた色鮮やかなプリント生地、インド更紗にありました。

450社が生まれて、DMCは糸の道へ

DMCの成功はあまりにも鮮やかで、周囲に伝わるのに時間はかかりませんでした。
ミュルーズ一帯には同じように更紗を作ろうとする企業が続々と生まれ、最終的にその数はなんと450〜500社以上に。

同じ地域でひしめき合う450社
どれほど熾烈な競争だったか、想像するだけで圧倒されますよね。

そんな市場が飽和していく中で、
DMCが新たに見つけた活路が「糸」でした。
刺繍糸の製造を始めてみたところ、これが大ヒット。

その成功があまりに大きかったため、
創業から約150年続けてきた生地製造を思い切って手放す決断をします。

今わたしたちが手にしているあの糸は、こんなふうに生まれてきたんです。

1756年と1836年のミュルーズの街並み。
上段は18世紀の街、下段は産業発展後の街の様子を示しています。

現在、DMCといえば刺しゅう糸のブランドとして知られていますが、その背景には、
市場の変化を読み取り、思い切って事業を転換した歴史
がありました。

伝統を守るだけではなく、時代に合わせて変わる。
この柔軟さこそ、DMCが長く愛され続けている理由のひとつかもしれません。

ミュルーズの工場見学もレポートしていますので、合わせてこちらの動画も是非ご覧ください!

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